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はじめまして。光森里奈です。

はじめまして。

光森里奈です。

✨プロフィール✨

1987年生まれ。岡山県出身・倉敷市在住。

2017年11月にHSPの第一子を出産。

2020年2月に発達障害児の第二子・重度心身障害児で医療的ケア児の第三子を出産。

出産を機に、私の波乱万丈人生が始まりました。

今の日本社会は、女性にとってとても生きにくい世界だと感じます。

仕事、家庭、育児、そして自分__

女性がすべてを実現しようとすると、自分のことを後回しにせざるを得ない場面ばかり——

実現することがほぼ不可能な状況が今の社会の現実ではないでしょうか。

私自身、障がい児の双子を30歳で出産したとき、

最初に頭をよぎった言葉は

「私の人生、終わった」

当時の私の頭の中は真っ白になり、思考停止。

再び立ち上がるまでには多くの時間を必要としましたが、

ある日を機に、私の心の奥に眠っていた情熱が目を覚ましました。

仕事、家庭、育児、そして自分——

すべてを犠牲にせず、楽しく両立しながら 自分が一番幸せでいられる姿を模索したい。

そんな思いから、まずは自分の気持ちを発信することを決意しました。

そして、自分が試行錯誤しながら歩む姿をありのままに発信することで、

同じような思いを抱えるたくさんの女性のヒントになれば……。

そんな想いで、日々ブログを書いています。

共感してくださる皆様と交流しながら、 ブログと共に成長していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします!ぜひコメントやメッセージで交流できたら嬉しいです!

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新生児の延命治療の選択

「先生、安楽死とかできないんですか?」
その言葉が、私に覚悟を決めさせた。



ベッドに横たわったまま、夫と共にNICUへと向かった。
そこには、愛おしい双子の姿があった。彼らは無数の管に繋がっており、その姿は言葉を失うほどの哀しさを誘った。なぜこんなにも可愛い子たちがこんな状態にならなければいけないのだろうか。
守ってあげられなくてごめんね。あなたたちの未来を奪って本当にごめんなさい。そして、私たち家族の未来を壊してしまって本当にごめんなさい。心の中で、私は双子と長男、そして夫に謝り続けた。

泣き続けている私のそばで夫はただ立ち尽くしていた。

しばらくしてから、私は次男に手を伸ばした。そのしわしわの足、マッチみたいな細い指、玉のようなすべすべのほっぺた、そして、細くて柔らかい髪。そのすべてが愛おしかった。

なのに、口から管を入れられ、鼻から管を入れられ、小さい手に点滴の針が刺さり、足の付け根からも点滴の針が刺さり、胸には心電図モニター。たくさんの管に繋がれた次男を抱きしめたくても、抱きしめることはできなかった。

病室に戻り、消灯の時間が訪れた。
夫は「また明日来るよ」と言って帰っていった。私は夫との感情の違いに戸惑っていた。夫はまだ一度も泣いていない。私はこんなに悲しくて辛いのに何で夫は悲しくないのだろうか。

翌日の昼過ぎ、父からの電話があった。「長男くんが38度の熱で保育園から帰ってきた。今から小児科を受診してくる」と。

受診が終わった父から電話があり「インフルエンザだったから明日から保育園は休まないといけないな。どうしようか。みんな仕事があるしどうやって面倒みようか。」と。

両親、兄弟、義理の両親のスケジュールを聞いて調整をした。考えたくないことがいっぱいだったから、スケジュールの調整に集中していた。


「赤ちゃんの血圧が少しづつ下がってきているので、今後の処置について考えておいてください。」と先生からの言葉があった。

私は双子を出産した総合病院の病棟の看護師をしているので、その言葉の意味がすぐに理解できた。状態が良くないため、今後さらに悪化したときに延命治療をするか否か。

夫はすぐに答えた。「延命処置をするに決まっている。しないとかありえない」と。

私は現場の経験から延命処置がいいとは思ってはいなかった。延命処置をしても助からない命もある。延命処置をすればするだけ本人の負担は大きくなるだけだとも。延命処置をして命が伸びたとしても、障害が残ったまま生きる人生は本当に幸せなのか。

私は即答できなかった。

先生は「すぐに返答しなくていいのでゆっくり考えて下さい。ただ状態は良くないので、ご家族の方が面会できるようにお部屋を準備します。誰に来てもらいますか?」と言った。

私は「先生、長男がインフルエンザにかかっているのですが面会してもいいですか?」と尋ねた。

先生は「連れてきて大丈夫ですよ」と言った。

みんなを待ってから一緒に面会室へ向かった。

そこにはコットの中で寝ている次男がいた。

表情も顔色も良く、状態が悪そうには見えなかった。しかし、動脈血圧は30~50、酸素も89~93%ほどで、かなり不安定だった。

長男や両親、兄弟、義理の両親は初めての面会だった。

長男は泣いている私の顔をみて少し後ずさりしたが、私が「おいで」と言うと、久しぶりに会ったので嬉しそうに抱きついてきた。

インフルエンザのせいで体はすごく熱かった、きっと39℃ぐらいあったと思う。しんどいはずなのに、全くぐずることなく、まだ2歳の長男は今の状況を理解しているはずはないが、その場の空気を察して、いい子にしていた。

私の両親から順番に次男を抱っこしていく。両親は「おなかの中でこんなに大きく育ってたんだね。よくがんばったね。」と声をかけていた。

次に私の妹弟も抱っこした。みんな泣きながら「こんなに可愛いのに、何でこんなことになったのかな」と言っていた。

義理の両親も「何でこんなことになったんだろう」と呟いていた。

最後に、私が抱っこしていると、私の父が突然大声で泣きながら怒鳴り始めた。

「なんで先生は検診の時ちゃんと見てくれなかったんだ。どうしてなんだよ。こんなに大きく育ってたんだから、ちゃんと見てくれていたらこんなことになっていなかっただろう。あんたらどうしてくれるんな。」と。

父が大声で感情をあらわにしている姿を見て、その時の私は子供じゃないんだから、大勢の人がいるのに泣きわめくのは恥ずかしいからやめて欲しいと思った。だから「父さん、今は大事な時間なんだから、大声出すのやめてよ」と言った。

すると看護師に「お父さんの言っていることは間違っていないよ。思っていることを言っていいよ。」と言われた。私は人前で感情を爆発させることは恥ずかしいことと思っていたのでそう叱られて、こんな状況なのに、恥ずかしいことを優先している自分のことのほうがもっと恥ずかしいと思い、反省していたときに。

姑が言った。

「先生、安楽死とかできないんですか」

一瞬、その場の空気が凍りついた。姑の言葉は突然で、場違いだった。しかし、彼女は続けた。「こんな状態で生きるのもかわいそうだし、面倒みるのも大変だし、安楽死とかできないんですかねー」と先生に尋ねていた。

今思えば、姑は心の中で思っていたことを素直に言葉に出しただけなんだろう。

しかし、その時の私の精神状態ではそう受け取ることができず、彼女が「この子を安楽に殺してもらえないですか」と言っているように聞こえた。

こんなかわいい子を殺すなんて絶対に許さない。

なんとしてでも助けなければ。

私はその時、延命治療をすることを決めた。

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双子が重症新生児仮死で産まれてくるまで

あの日から6年がたった。それは私の激動の人生が始まった瞬間だった。今でも鮮明に覚えているのは、たくさんの管に繋がれた2人の可愛い赤ちゃんの姿と2人のそばでただ泣くことしかできなかった自分の姿だ。

妊娠36週3日。最後の妊婦健診の日。まだ少し暗い明け方、いつもより早く目が覚める。少しお腹がチクチクしていた。お腹の痛みで目が覚めるなんていつもと違うなと、少し不安な気持ちになるものの、横でスヤスヤ眠っている2歳の息子の顔を見て自分で気持ちを落ち着かせる。「赤ちゃん大丈夫かー」と言いながらお腹をさすっているとまた眠くなり、眠ってしまった。朝になり息子は夫に連れられて保育園に、夫はそのまま仕事に行った。私はたまたま休みだった父に車で病院まで送ってもらった。かかりつけの地元の総合病院につき、歩いて産婦人科へ。待ち合い室で待っていると、産後フォローのお母さんたちもいて、可愛い赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。

診察の前のNSTの時に看護師に「明け方からお腹がチクチクしているんです」と伝えるが、看護師は「そうなんですねー」と気に止める様子もなく、NSTのセンサーをお腹に装着し始める。センサーを装着してもなかなか脈拍と波形が出てこず、「赤ちゃん寝てるのかなー」とかいいながら、センサーのつけ直しをしたあとようやく波形がでるようになった。NST中に2回お腹が収縮する感じがあり、波形も少し山になっている。何だかよく分からない違和感があった。

その後診察室に案内され、先生がエコーで赤ちゃんの血流を確認。エコー中の先生に夜中にお腹がチクチクしたことを伝えるが、先生はエコーを見ながら「赤ちゃんの血流もいいですし、問題ないですよ」と。先生の言葉に安心して、帝王切開の日にちを一週間後に設定して、病院をあとにした。

父に迎えにきてもらい、車で実家に帰宅。今日の診察内容を父と話しながら、荷物を床に置いてこたつの前に座った瞬間だった。

ブチッ。

身体の中から何かがはち切れるような音が聞こえた。

と同時にお腹に激痛が。

普通ならただ事ではなさそうなのは、分かりそうなものだが、このときの私には分からなった。突然陣痛がきたのかと思い、お腹のはりの間隔を時計ではかるが、ずっと痛い。おかしいと思いながらも、冷静になれと自分に言い聞かせながらとりあえずかかりつけの病院に電話していた。「さっきお腹がブチッといって、それからお腹が痛いんです。陣痛の間隔は分かりません。ずっと痛いです。」と電話にでた看護師に伝えると「すぐに車で病院にきてください」と言われた。車に乗ろうとするが、お腹が痛くて立ち上がることすらできない。「痛い、痛い、痛い」お腹を抱えて悶絶している私を見た父が「母さんが陣痛のときはそんな感じじゃなかった。おかしい。救急車を呼ぶから待っとき」と。救急に電話してから10分ほどで救急車が到着して、救急隊員には陣痛に耐えている妊婦にしか見えなかったようで、隊員が私を抱き抱えようとした。身体がくの字になった瞬間にお腹に激痛が走った。「痛い、痛い、痛い」痛いしか言えない私に代わって父が「陣痛でこんなに痛がるのはおかしいから、担架持ってきて運んで」と言ってくれた。担架で救急車に乗り込み、救急車が進み始めたがサイレンは鳴らさず5分ほど走らせて道で止まってしまった。父「何で救急車がとまってるんだ!早く病院へ行ってくれ!」救急隊員「病院の受け入れの確認中だから連絡を待っています」父「かかりつけの病院には電話して行くと行っているんだから、受け入れできるはずだ!とりあえず病院まですぐに行けって!」救急隊員「受け入れが確認できてからじゃないと行けないので、もう少し待って下さい」父「待っていては遅いかもしれない。もしうちの子に何かあったらあんたが責任とってくれるんか」

こんなやり取りのあと上席隊員が「とりあえず病院行こう」と言い、サイレンを鳴らしながら救急車が走り出した。

病院に到着してから救急で隊員と医師が何やらやりとりしているみたいだが、こっちはそれどころではない。お腹の激痛とお腹の中の赤ちゃんは大丈夫なのかと不安でならなかった。どうでもいいから早く何か処置をしてくれと心の中で叫んでいた。お腹の痛みと不安で呼吸が荒くなっている私をみて、看護師が「お母さん大丈夫よ。しっかり息してー」と言ってくるが一体何がどう大丈夫なのか。看護師のお決まりフレーズにイライラしながら待っていると、産科の医師が到着し、病棟に連れて行かれた。

産科の病棟に到着して、履いていたレギンスと下着を脱がされると、下着が血でべっとり汚れていた。医師がすぐにエコーで確認し始めるがすぐに「赤ちゃんの脈拍が下がってる。オペ室に連絡して!」と騒ぎ始める。「お母さん、今赤ちゃんが苦しい状態になってるからすぐに帝王切開します。」こんな簡単な説明のあと、着替えをさせられ、そのままオペ室へ。オペ室に到着するとすぐに麻酔をかけられたので、そこで記憶はなくなった。

目が覚めたときは個室のベッドの上だった。涙を流しながら立っている母と目が合った。「目が覚めた?大丈夫?」と声をかけられ、少しずつ思い出してきた。この時まだ何も知らない私は、お腹の痛みがなくなってホッとして「大丈夫、麻酔もきいてるし痛くないよ」と明るく答えた。何も知らない私はたわいない話をするが、母の表情は固まったままだ。何かあるのは感じるが、考えたくない私はたわいない話を続けた。30分ほどたったときに医師と看護師が部屋に入ってきた。「お父さんとお母さんだけ部屋に残ってもらって他の方は少し外でお待ちください」と看護師に案内され母たちは部屋の外へ。

先生はポツリポツリと説明を始めた。「赤ちゃんは今NICUで治療を頑張っています。お腹中にいる間に低酸素状態が続いていて、産まれたとき息をしていなかったので、すぐに救急蘇生をしました。治療の末、今人工呼吸器で息をしていますが、今後どうなるかまだ分かりません。力を尽くして治療していこうと思いますが、頭の中は火の海の状態です。女の子は火を消すために低体温療法をしています。しかし、男の子の方は治療の対象にならず、今も火が広がっている状態です。」と。現実を突きつけられ、私の頬に涙がすっと流れ落ちた。泣いている私を見ながら看護師からは「出産おめでとうございます。」と。一体何がおめでたいのか教えてほしい。自分の子供に障がいが残るかもしれないのにおめでたいと言ってくる看護師に怒りが込み上げ、また涙が溢れでてきた。

人生は予測不能だ

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重症生児仮死に対する低体温療法の予後は?

ズバリ、低体温療法は効果があります。だから、だいじょうぶ!子どもの成長を信じて、お父さんお母さんができる限りのサポートをしていけば、きっと明るい未来はきます。

なぜなら、私の子どもも重症新生児仮死で産まれてきましたが、すぐに低体温療法をうけることができたので、今では元気に保育園に通い、お友達と一緒に遊ぶ日々を過ごしているからです。

このブログを読んでくれているということは、わが子が今まさに低体温療法を受けていて、その子の将来に不安を抱いているかもしれませんね。

私の子どもが重症新生児仮死で産まれたときも、この子の将来や家族の将来、自分の将来はどうなってしまうんだろうかと不安しかなかった。すぐに低体温療法をうけることはできたものの、治療後のMRI検査の結果は「大脳基底核が損傷されているから、将来は寝たきり、口から食べれなくて鼻からの栄養注入、しゃべったりなどのコミュニケーションができない可能性がある」と。その説明を聞いた瞬間、ショックで泣き崩れ、この子の未来はもうなくなってしまった、私がうばってしまったと自分を責めました。

しかし、医師は私が泣いているようすを見て「赤ちゃんの脳は傷ができているところをさけて別のルートを作ることができるので、必ず寝たきりになるということではありません。赤ちゃんの可能性を信じましょう。」ということばをかけてくれました。

その後、私は医師のことばの意味と低体温療法について調べ、自分にできることは何か考えるようになりました。

低体温療法をうけた子どもがどのように成長・発達していったのかお伝えしていくことで、お母さんお父さんの不安が少しでも軽減されることを願っています。

低体温療法とは

重症新生児仮死で産まれた赤ちゃんの脳損傷による新生児脳性麻痺のリスクを軽減するための治療法です。体温を意図的に下げることで、仮死状態の赤ちゃんの脳を保護して、脳の損傷を軽減します。これにより、神経学的な予後を改善することが期待されます。

神経可塑性とは

赤ちゃんの神経細胞は一部が損傷していても脳や神経系において別のルートを作ることが可能です。これは神経可塑性と呼ばれる現象によるものです。神経可塑性は神経細胞や神経回路が経験や学習に応じて変化し、新しいつながりを形成する能力を指します。この可塑性により神経細胞は損傷した経路や回路を迂回し代替えの経路を形成することがあります。

低体温療法後の過ごし方のポイント

赤ちゃんの脳は特に神経可塑性が高いので、早期に専門家の指導のもとで療育プログラムを始めることが重要です。赤ちゃんの脳は刺激を受けることで発達するので、適切な環境と五感(聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚)の刺激を与えることが大切です。これにより、神経細胞のつながりを促進し、新たな経路を形成する可能性を高めることができます。

低体温療法後の様子

私の不安や自責の念とはうらはらに、低体温療法後は人工呼吸器が外れ、酸素チューブが外れ、鼻からの栄養チューブが外れ、口からミルクが飲めるようになりました。産後2か月で退院して家に帰ってからも毎週リハビリに通い、少しずつ成長していく姿を見ることができまし。

育児本にかかれている成長とは違って、ハイハイせずにずりバイからのつかまり立ちだったり、発達の成長スピードもほかの子より半年~1年遅れていたから、不安もありました。それでも、他の神経ルートを作って確実に成長していることを感じました。

私はもっと子どもの成長を促したくて、周りの子どもたちと触れ合える環境を求めて保育園に入園させることを決めました。1歳半で保育園に入園し、入園前まで笑わなかった子が1週間もしないうちに笑顔をみせるようになりました。その後は、ほかの子どもたちと同じようにできるようになりたいと、みんなのマネをするように。

低体温療法から5年後の様子

今は保育園に通いながら週2回の療育と週一回のリハビリを受けていています。

2歳で歩き始めて、3歳で言葉を話し始めるというスローペースではありましたが、今では運動会でみんなとかけっこができるようになり、補助輪なしの自転車をスイスイ漕ぐことができるようになりました。笑顔が絶えず、おしゃべりも1日中絶えません。両手を合わせて「お母さん、お願い、アイス買ってほしいんだよ。お願いだから買って~~」とお願いも上手にできるように。来年はついに地域の小学校にお友達と通います。

まとめ

重症新生児仮死で産まれ、その現実を受け入れることに苦しんでいるお母さんお父さん。受け入れることに時間がかかるかもしれないけれど、お子さんが重症新生児仮死で産まれてきてすぐに低体温療法を受けることができたことは本当に幸運です。あとはお子さんの成長を信じて、子どものために何でも挑戦してみて下さい。親に信じてもらえている子どもはきっと親の期待に応えてくれるはずですよ。

私のブログが少しでもお母さんやお父さんの不安を軽減できればと思っています。子どもたちの可能性は無限大です。低体温療法と神経可塑性の力を信じて、お子さんの成長を見守ってください。

最後に、あなたはすばらしいお母さんやお父さんです。自分自身を責めることはありません。ただ、子どもを愛し、サポートし、成長を信じていくことが大切です。一歩ずつ、一緒に未来を歩んでいきましょう。明るい未来がきっと待っています!

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ネットショップのSNSの活用法。

こんにちは、みなさん。

私、ついにSNS始めることにしました。え?今更?って思いますよね。私、実は驚くべきことにTwitterやFacebook、InstagramといったSNSを今まで使ってこなかったんです。「SNSなんてつまらないじゃん」「Z世代がやるやつでしょ」「どうせいいねやアンチコメントに振り回されて疲れるだけじゃん」と思って遠ざけてきたんです。

ネットショップ開業に向けて勉強していたら、ネットショップの成功にはSNSが欠かせないと書いてあり、SNSの重要性を知りました。

SNSが登場する前の時代は名刺や学歴が自分を証明するものだった。しかし、今やSNSでのフォロワーの数は個人の資産になる。SNSがネットショップ成功に欠かせない存在だと知りました。今までやってこなかったことを後悔しても後の祭りですが、私は新たな一歩を踏み出す覚悟を決めたので、さっそくアカウント作りに取り掛かろうと思います。

そこで、アカウントを作ってSNS始めたらどのように活用していくといいのか調べたことをまとめたので興味がある方はみて下さい。

1.プロモーションと広告

SNSを使用して、特別なプロモーションやセール情報を共有することで、顧客の関心を引き付けます。また広告を投稿して、より広範なオーディエンスにアクセスすることもできます。

2.商品の紹介とデモンストレーション

新しい商品や人気商品の特徴を紹介し、実際の使用例やデモンストレーションをSNS上で共有することで商品の魅力をアピールできます。

3.コンテンツの共有

ユーザーが興味を持ちそうなコンテンツを共有することで、SNS上でのユーザーエンゲージメントを促進することができます。例えばブログ記事やハウツー動画、インフルエンサーのレビューを共有しましょう。

4.ユーザーとのコミュニケーション

SNSは顧客との対話を促進する優れたツールです。ユーザーからの質問やフィードバックに迅速に応答し、顧客サービスを提供することで顧客満足度を高めることができます。

5,インフルエンサーマーケティング

インフルエンサーと連携して彼らのフォロワーに製品やサービスを紹介してもらうことも効果的です。インフルエンサーは信頼性や影響力を持っているため顧客の購買意欲を高めることができます。

6.ユーザー生成コンテンツの活用

顧客が自身の購入体験や製品の写真や動画をSNS上で共有することを促進しましょう。これにより他のユーザーによる口コミが生まれ、ブランドの信頼性と製品の魅力が向上します。

7.ハッシュタグの活用

キャンペーンやイベントの際に特定のハッシュタグを使用することで関連の投稿を一元管理し、ユーザーの参加を促すことができます。

8.分析と改善

SNSの分析ツールを使用して、投稿の効果やエンゲージメントを定量化しましょう。投稿の届いた人数、いいねやコメントの数、シェアされた回数などのデータを分析し、どの投稿が最も効果的であったかを把握します。これにより、今後の投稿計画やコンテンツ戦略を改善するための洞察を得ることができます。

9.ターゲットのオーディエンスの特定

SNSの分析データを活用して、自社ののターゲットオーディエンスを特定しましょう。どのような人々がフォロワーとして参加しているのか、彼らの関心や嗜好は何かを理解することで、より効果的な投稿やターゲティング広告を作成することができます。

10.リアルタイムの相互作用

SNSはリアルタイムなコミュニケーションの場でもあります。顧客の質問やフィードバックに素早く対応し、関心を持っている話題やトレンドに対して迅速に反応することで、フォロワーとの相互作用を促進しましょう。

11.コラボレーションとパートナーシップ

他のブランドやインフルエンサーとのコラボレーションやパートナーシップを通じて、相乗効果を生み出すことができます。類似のターゲットオーディエンスを持つブランドとの共同キャンペーンやインフルエンサーとの共同プロモーションなど相手のオーディエンスとのクロスオーバーを活用しましょう。

まとめ

ネットショップはビジネスにおいて欠かせない存在である。広範な顧客層にアクセスし、SNSや広告を活用し魅力的なコンテンツを発信していく。顧客とのコミュニケーションを大切にし、サービスの品質を向上させよう。効果的なSEO対策やオンライン広告を駆使し、集客を図ることも忘れずに。継続的な改善と顧客満足を追求することでネットショップの成功を掴もう!

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小学生の宿題はどうやってやる気を出させてる?

うちには小学生の息子がいますが、宿題をするのをめんどくさいと言って、学校から帰ってすぐにはやりません。

みなさんのお子さんはどうですか?

私が子供のときは帰ってから、寝る前までには宿題を終わらせていたので何ですぐやらないんだろうと思ってしまうんです。

私が宿題をやっていた理由は先生に怒られるからなので、宿題やらされてる感はがっつりありましたが。

子供の言い分としては学校で勉強してきたんだから、家では遊びたい。宿題の漢字ドリルを書くことや計算ドリルの計算を写すこと自体がめんどくさい。

そーだよな。遊びたいよな。書くのめんどくさいよな。と子供の言っていることには共感できます。

だから、しばらく宿題については触れず、何も言わなければどうするのか様子を見ていました。

流石に宿題を全くしないとかはなく、朝5時~6時に目覚まし時計をセットして自分で起きて宿題をするようになりました。

でも朝は眠たいみたいで、集中すれば30分で終わる内容の宿題を1時間かけてやっているので、学校に行く時間までに宿題が間に合わないこともあり、中途半端にやったものを提出しています。

この状態を2ヶ月続けてみると、テストの結果に反映されてましたね。

正答率50~70%。

勉強が分からなくなってきてますね。

本人はテストの点を全く気にしていないので、テストの点が下がったから宿題はちゃんとしないととはならず、現在進行形でぬるっと宿題をやっています。

宿題を楽しみながらできればやると思うんですが、どうやったら宿題を楽しくやれますかね?

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商工会に行ってみた

13年看護師として働いてきて、いざ起業したいと思っても何の知識もない。友達も看護師や会社員のため友達にも聞けない。まずどうしたらいいのかを悩んでいました。子供の看護に来てくれている訪問看護師さんに悩みを相談していたら、その看護師さんの旦那さんがもともとは会社員だったけど起業をして現在会社を経営していると。ぜひ話を聞かせてほしいとお願いして、起業するときにまず何をしたのか聞くと、

「商工会に何度も行って相談に乗ってもらってたよ」と

商工会?なにそれ?初めて聞く言葉だったのですぐにネットで検索。

商工会とは、業種に関係なく地域の事業者が会員となってお互いの事業の発展、地域活性化のための総合的な活動を実施することと書いていました。

早速地域の商工会を調べるとつくぼ商工会が出てきたのでホームページを見てみると、下記のように書いていました。

起業・創業のご相談

・基礎知識(開業に伴う届出、経理、税金など)

・事業プラン(計画書)の作成

・開業するための資金計画

・創業イメージ図の作成

・起業塾(創業に関する勉強会・仲間づくりの場)の開催や紹介

・開業後のフォロー

とりあえず何でも相談できるのか?と思って電話をしました。

家で起業を考えていること、医療的ケア児が使う入浴の時の用具を作成して売りたいことを伝えると。

「一度商工会に来ていただいて話をしましょう」とのことだったので、商工会に行く日どりを決めていきました。

商工会に到着して受付で声をかけると、個室に案内されて話をすることになりました。

まず、私が考えている医療的ケア児が使う入浴時の用具の作成はどんなところに依頼していけばいいのか相談すると、ネットで企業を調べてくれました。調べたことを踏まえ、「商品の作成依頼をすると一度に1000個とかの発注が必要になり最初にお金がたくさんいる。だから似たような商品を作っている企業に医療的ケア児用にここの部分を直てほしいと言って改良したものを企業さんに売ってもらって必要な分だけ仕入れるほうが資金的にはいいのではないか」と説明がありました。

まだ何も実績がない私が商品を作ることのハードルを感じ、資金問題と信用問題をどうやって解決していこうか考え、もう一つの案も相談することにしました。

医療的ケア児が使う日用品がネットで販売されているが、散在しているため欲しいものにたどり着くまでにかなりネットで探さないといけない苦労があるから、いろんなところで販売されているいい商品を一か所にまとめて売られていれば、探す手間が省けるし、障害児を出産したり、事故や病気で突然障害児になった子が病院から退院して在宅に子供を連れて帰る準備がすぐにできる場所があればいいなと思っているので、セレクトショップもゆくゆくは作りたいと。

このアイデアを相談すると、担当の方は「それはすごくいいと思う。社会貢献にもなるし、事業としても成り立つと思うから、頑張ってほしい」と言ってくれました。

セレクトショップなら売れた分だけ購入していけば在庫リスクはなくなり、低コストで始められるし、セレクトショップで少しずつ信用を上げていけば、商品を作りたいときに信用ができているから企業に発注しやすくなるということでした。

私の中では商品を開発して売れたら資金ができるからその資金でセレクトショップを開業していくといいのではないかと考えていたので、セレクトショップ開業後に商品開発していく方向性のほうが事業が成り立つことを知れてよかったです。

進むべき方向性が分かったので、これからはどんどん行動していくのみ。

つくぼ商工会さんが背中を押してくれたので、ワクワクしてきました。

大人になってワクワクしたことがなかったから、もうワクワクできないものだと思っていたけど、違いましたね。ただ私が新しいことに挑戦していなかっただけだったんですね。

このワクワクを大切にして、まずは会社名を考えていきたいと思います。

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言霊の効果

みなさんは夢を口に出して言っていますか?

よくスポーツ選手が「夢は口に出せば叶う」と言っているのを聞くけど本当なの?

言霊の効果って本当になの?

って思ったことありませんか?

以前の私は夢もなければ、口に出したからと言って夢が叶うわけないじゃん、スポーツ選手のように結局は才能のある人しか夢はかなってないじゃんと思っていました。

しかし、今年の3月になってから「政策起業家になりたい」と周囲に話をするようになってから、まず起業するために自分で動き始めていて、起業の方法について周囲に話を聞いていたら、少しずつ応援してくれる人も出てきました。ここまでは、私の想定内の進み具合だったけど、ここからは自分が思いもしなかったスピードで話が進んでいきます。

ということで今は「夢は口に出せば叶うかも」「言霊は効果があるのかも」と思い始めています。

実際にどのように言葉にしていったら、どのように進んでいるのか今の状況についてお伝えします。

私が政策起業家になりたいと思ったきっかけは、医療的ケア児が地域で過ごしていくことの難しさを感じたことで、みんなもきっと同じようなことでつまずいている気がするから私が何とかしたいと思ったから。

そのためにはまずは医療的ケア児が自宅で楽に楽しく過ごすための商品の開発だ!となぜか思いました。

子供が入浴の時に使っている浮き輪が気管切開のある医療的ケア児でも安全に入れているから、この浮き輪をベースにもっと使いやすく安全に改良したらいいんじゃないかと思って商品開発するための方法を考えていました。一人で考えていても、やりたいことばかりが頭に浮かんで頭が整理されていかなかったので、同じような状況のママさん起業家に起業の方法をZOOMを使って聞きました。次に私が一番信頼している元訪問看護師の方に「気管切開児や障害児が安全に入浴できる浮き輪を作りたいんだけど、何から進めたらいいか頭がパニック状態だから相談にのってほしい」というと「すごいね!入浴で困っている人は多いからいいと思う。まずはリサーチが必要じゃない?私も知り合いにリサーチしてみるね」と協力してくれることになりました。

それとほぼ同じ時期に医療的ケア児を育てていたママたちから、「私たちが暮らしている地域の早産児、未熟児、発達障害、自閉症、医療的ケア児を含めたその家族が生涯みんなで支えあえるようにサークルを立ち上げたいからメンバーに入らないか」と声をかけてもらいました。私の夢である政策起業家になるためにはコミュニティーは持ちたかったし、商品の開発のために色んな情報が欲しかったので、すぐにメンバーになりたいと返信しました。その時に「今医療的ケア児専門のショップを作りたくって起業に向けて頑張っている。その売上でゆくゆくは医療的ケア児の親が働くことのできる会社にして、医療的ケア児の親だからこそわかる医療的ケア児に必要なものを商品開発したい。働きたいママの支援のために医療的ケア児が通える保育園とかも充実させていきたいから、クラウドファンディングで保育園とかもやっていきたいなー」と夢を熱く語っていました。熱い思いだけはあるからメンバーとしてできることは協力していきたいなとそれぐらいの気持ちでいたら、それからしばらくして誘ってくれたサークルのママが、「私今は医療的ケア児を育ててないから最前線ではないし、子育てや仕事もあったりで忙しかったり、話をするのも得意じゃないからサークルの代表やってくれない?」と。私の中では寝耳に水で「え?私が?」。熱い思いはあるけど、もともと友達が少なくて人脈がないし、今は起業のことで頭がいっぱいだったから今その話を受けていいのか少し悩んだけど、言葉にしていたからチャンスが私のところに来てくれたのかもと思い、「分かった」と返事をしていました。

政策起業家になりたいと口にしはじめて2か月、自分の意志とは違う方向からも動きが見られるようになってきました。これからどんどん進んでいきそうな勢いが怖いなと思う反面、これができたら自分の成功体験となって自己肯定感が上がるかもとワクワクしていますね。

まだ何者でもない私が一体どこまでできるのか。皆さん見ていてくださいね。

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リサーチで学んだこと

・医療的ケア児・障害児は体の大きさ体の柔軟性など様々であり、一般的なSMLで賄えない。

・消費者に何が受けるのか分からない。

・収益を伸ばすには情報をどれだけ届けられるかにかかっている。

今日はリサーチしたことの内容を書きたいと思います。

私の周りには会社員しかいなかったので、起業するとはどういうこと?何からすればいいの?と全く起業のイメージはできていませんでした。

とりあえず個人事業の始め方という本を読みました。本には「個人事業は狭いニーズを狙うべき、すき間商品を特定の人に提供すれば成り立つ。すき間を探し出すにはリサーチしかない。」と書いていたのでリサーチを実践することに。

リサーチの項目

□事業を行うジャンル

□ジャンルの成長性

□ジャンルを細分化したときのニーズ

□事業を行う地域での成長性

□ライバル(同業者)の数

□細分化したときのライバルの数と特徴

□ライバルの強みと弱み

□細分化したときの地域での成長性

同業としては医療的ケア児・障害児に対して商品を出しているところになるので、私調べでは「パレットイブ」「ひよこ屋」「チャーミングケアモール」「SKIP&CLAP」の4社が当てはまるかと思い、問い合わせてみることにしました。

まずは状況が一番近い、パレットイブの社長さんに話を聞くことにしました。

起業するに至った経緯は、毎日のケアで楽しみを見つけるために使うかわいい小物や服をお子さんに作っていたそうで、それをみた他のママたちからの「売ればいいのに」の声にやってみようと思われたとのことでした。そこから、起業塾に通い、パレットイブを立ち上げたそうです。

パレットイブが起業するタイミングと世間に医療的ケア児という言葉が広がったタイミングが一致したこともあり、新聞社からパレットイブに問い合わせがあり、新聞に掲載されると、新聞を見たデザイナーさんから連絡があり、そのデザイナーさんとともにパレットイブを経営されているということでした。

新聞に載ると、一部の人から障害児の子供をだしにして商売をするなんてありえないと言われることもあったそうですが、同じような境遇の多くの家族に笑顔になってもらいたいという理念から商売を続けることにしたということでした。私も障害のある子供を育てた経験で困ったことを他のお母さんたちも同じことで困らないように何かお手伝いがしたいと思い起業をしたいと思ったので、その気持ちにはとても共感しました。

商品を開発する時に気を付けているのは、障害児が使いやすい前あきロンパース服などは大手が少しずつ出し始めているため、手を出さないようにしていて、大手が分からない、医療的ケア児専用の小物に目をつけたと。パレットイブさんの強みは専門部分をうまくついていて、なおかつかわいいから使ってみたいと思えるデザイン性があることだと思いました。

ひよこ屋は衣服、チャーミングケアは福祉雑貨、SKIP&CLAPは吸引機に特化した商品に力を入れているなと。

ネット上にはいい商品が色々あるけど、それぞれのお店にたどり着かないといい商品には出会えないから、私はそれらの商品を一か所で売ることで色んな発見があるお店にしたいなと新たに考えが固まってきました。

また、すべてのショップはネット販売ということで、実店舗となると対象者が少なくて売り上げにつながらないのかなとも思ったのでまずはネット販売で進めていくべきなのかなと。

今、医療的ケア児は年々増加傾向になるので、今後も子育てに困るママはたくさん出てくると思うのでその手助けができるようなショップを作りたいなと改めて意志が固まりました。

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起業への思い

初めまして。

旦那と小学2年生の長男と発達障がいの長女5歳と重症心身障がい児の次男5歳の5人家族

看護師のパートで働きながら起業を目指している主婦です。

起業にするにあたり、少しでも多くの方に応援していただけたらなと思ったのと、起業までの道のりをリアルタイムでお伝えすることで、起業したいと思っている主婦の方のお役に立てたらと思い、ブログをはじめました。

どうぞよろしくお願いします。

まず、なぜ起業しようと思ったか、綴っていきたいと思います。

私は双子を出産する時に子宮破裂を起こしてしまい、長女と次男は重症新生児仮死で産まれてきました。

長女は出生後すぐ低体温療法を行い、治療の効果があり、障害は残ったものの友達と楽しく保育園に通うことができています。次男は低体温療法の適応にはならず、延命治療の末、命は救われたものの意識は戻らず、常時人工呼吸器装着、痰の吸引、胃瘻からの栄養注入が必要な医療的ケア児となりました。そんな次男は1歳半の時に退院でき、それからは自宅で過ごしています。

二人の障がい児を育てていく中で、理不尽なこと、心無い言葉を言われたこと、障がいがあると保育園に受け入れてもらえない、保育園が無理なら療育センターに通うしかないが、人工呼吸器装着していたら見てもらえる療育センターがないなど、いろいろな壁を感じました。

また、介護する側の問題もいくつも出てきました。24時間介護で疲れ切っている母親の休息時間はない。介護により仕事をやめなければならなくなり、社会から孤立する。経済的困窮に陥る。

これらのことを改善する何かいい方法はないかと市に相談にいくと、相談しても利用できるものはないと言われ、向き合ってもらえず、心無い言葉を言われ涙したりして、だんだん心までも疲弊して何も考えられない状態にまでなっていました。

そんな中、認定NPOフローレンスの駒崎弘樹さんの「政策起業家」を読み、社会の課題解決のために動くことで少しずつ社会が改善していくことがあるんだと分かり、政治家ではない普通のわたしにできることも何かあるのではないかと思い、政策起業家を目指すことになりました。

政策起業家となるためにはまず起業しないといけないのですが、私がやりたいと考えたのは、医療的ケアが必要な子供の子供用具・雑貨専門店でした。

私が実際、子供を家に連れて帰って一番最初にぶち当たった壁が、医療的ケアが必要な子供を育てるための必要なものが何か全く分からない。病院では吸引に必要な物品、お風呂に必要な物、移動に必要なものぐらいしか教えてもらえません。家に帰って毎日来てくれる訪問看護師さんに必要物品や方法を聞きながら手探りでやっていくけど、訪問看護師さんも十分な知識があるわけではないので、なかなかしっくりくる物や方法がなかく。インターネットで情報を収集して方法を考えることもできたと思うんですけど、その時の私はまだ、子供の障がいを受け入れることができていなかったため、どうやったら自宅で楽しく過ごせるかという情報よりも、障がいの予後や障がいの原因などを必死に調べていたので、日々のケアをどうしていくかまでたどりつけなかったのです。

医療的ケアが必要な子供を育てることに慣れた今は、買い物はインターネットで探すか、子供用具専門店に行くのですが、ほしいものがなかなかないんです。インターネットで見つけても、高くて買えない。インターネットは品物が散らばっていてほしい商品を見つけられない。特殊な加工がされている商品は試してみないと、自分の子供に使えるものなのか分からないから買えない。

なので、障がい児用の商品を試しに使ってもらって納得して購入してもらえる専門店があればいいなと思いました。

今は目標ができただけなので、これから何をしていけばいいのか調べて、行動していく段階です。

ゼロからのスタートなので右も左も分からないですが、目標に向けて頑張っていく気持ちだけはメラメラと燃えているので頑張んばります。

日々進歩していることが見せられるように、ブログの更新をしていきたいと思いますので、どうぞ応援よろしくお願いします。